F源との対話受講
源と対話しよう!2002年10月27日
源との対話受講の日がやって来た。
あやこさん(源)と面談による対話だ。
あやこさんより 源と対話しましょう。の第1声から始まった。
源:一緒になりたい人は?
私:明るく楽しい人
源:どのようにしたら、源と対話を始めることができるかを話します。
自分自身の殻に閉じこもっている。
リアルにわからないと対話は始まらない。
殻を破るために、愛をもって自分自身を励ましていく。
源と美和子がお互いに綱引きをするような感じで
自分の方に愛を引き寄せるように。
そういう気持ちで日々いると対話しやすい。
引っぱるというイメージが手ごわい・不信になったりせず、
ためらわず「私を愛してほしい」というメッセージを送り続けると対話できる。
<あやこ(源)さんよりどのように源と対話を進めていくか>
・日記をつける。(対話形式)上記の感覚で。
質問と答という内容で短くていい。脳は使わない。
慣れてくると大きな質問ができるようになる。
・意識のレベルを上げていく。
源様に対して全てを許しているという感覚。
存在そのものを許すことができるだろうか?
それには、いつでも自分が最高の姿だと意識すること。
そうすると源と目線が合ってくる。
↓
すぐに聞こえる!
源:時について
今、源と話せる時期です。
時というのは、いつもいつもそこにあるものではない。
実際、時はない。
時をどう思いますか?
私:以前は時間に追われていて好きではなかった。
今は、きらいではないですよ。
源:時は私のようなものだよ。
時=完璧な源
今、時というのは全てがわかるその瞬間というときに
時というものが来る。
あなたの心の中は
いつも過去は生まれては消えていた。
今は生まれっぱなし。
どんどん積み重なっている。
今の中に愛とか勇気とか完璧に分かる時に
源という瞬間を掴むことができる。
源とともにいるという時・意識を掴む。
心を開く。
イライラする時 もがくより心を開く。
自分自身をみつめていく。
源:源のイメージ・感覚を書いて見てください。
私:大きい、ゆったり、おもしろい、あたたかい、冷静、カッコイイ、優しい、実力が凄い。
源:私から美和子のイメージは、まっさらな存在。
源:このイメージを聞いてどう感じましたか?
私:そうなんですか?と驚き(自分ではまっさらと思っていなかった)喜んでます。
源:新しい事に挑戦するという意識で、明日からのぞんでください。
<あやこさんより>
自分の最高のものをあらわす。
自分自身が何かを始めることができる。
十字や源との対話は踏み台。
自分が源なのが、源との対話のコツ。
源は上に限りがない。
自分にもそういう発想を持っている。
真理に対して依存するのでなく、
真理を自分の踏み台にして自分自身を創造する。
自分自身を栄光ある存在とする。
するとひとつの世界が創りやすい。
↓
新しい源として生まれてくる。
受け入れて自分が大きな輪を創る。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この源との対話受講が行なわれた2日前
私が静かに落ち着いていると、
明るい黄金色(レモンイエローにみえる時もある)の光が
ずっと私の視覚にあらわれるようになる。
この事について 源にDMすると
その返信メッセージが下記。
本当に、今あなたは私をみましょう。
大丈夫、すぐに慣れます。
美和子、自分をより大きな愛によって育て、
そこに確信を生かすには 全ての私が生きます。
あなたは今、大きな事を始められたのです。
じゃあ
源。
この源さんのお話に浮かれた私は、
その後の1週間位
慣れない都内の外を歩き回り、
源を感じたくてちょこちょこと動いていた。
この動きの私は落ち着きなく
源をみるために
やみくもに動けばいいというものではないことを
後にしっかりと源さんから叱られたのです(>_<)
『あなたの部屋のいつもいる所に私(源)が居るんだろう?
(愛であるあなたの心に源がいるだろう?)』
私はあまり考えずに動き
愛(真理)をみることを
知らぬ間に遠ざけてしまう事が
今後もしばしば起こる。
こういった傾向にいってしまう私を
全てお見通しの源さん。
way of lifeをやることで
源と私がまっすぐに向き合えるよう
こうして 大切なメッセージや
大いなる道にゆけるためのヒントを授かっている。
しかし 対話受講で源からのメッセージにあるヒントが
簡単にわからない時がよくあり、
翌日、1週間後、1ヶ月後
あるいは1年後に
ハッ!と わかることがあるのです。
親が子供に真の自立をさせるための
大いなる答は
たとえ1年かかっても、
子供自らの意志で
しっかり掴み取ることが優先されるのです。
自分のものとし源(愛)としてそのメッセージを掴み
自然に温かな愛として生きることが
ひとつに向かっている事と一致する。
この対話受講で、私にとって気になる質問をした。
私:母の足は治るでしょうか?
源:いいえ。くだらない話はよそうか。
この短い対話で私がなぜ今、
母の居る広島を離れて暮らしているのかを悟った。
源は 決して冷たい言葉をかけたのでなく、
今、本来の道に向かうために集中することが何かを
この短いやりとりで、私にはっきりと教えたのです。
その後、広島に戻って母と再び暮らしながら
大いなる愛が何かを学ぶ機会がめぐってくることとなった。